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- CDバブルについて知りたい
- 音楽ビジネスに興味がある
- 音楽市場の動向を調べたい
CDバブルとは?
1990年代、オーディオ再生機器の普及が進み、TVドラマ・CMとの「タイアップ戦略」や「カラオケブーム」も相まって、日本の音楽市場に ”空前の好景気時代が到来” します。
ミリオンセラー作品が続出した時代でもあり、のちにマスコミで「CDバブル」と呼ばれます。しかし、翌1999年以降は売上が急減少し「CDバブル」は崩壊しました。
タイアップビジネスの誕生
1970年以前はタイアップビジネスはなく、ドラマ・映画の音楽担当が劇中音楽(劇伴)や主題歌を作っていました。やがてビジネス的になり「劇伴」と「主題歌」は別になります。
ビジネスになった背景には、スポンサーがCMで曲を使うときに ”新曲に限っては著作権免除” となり、高額な出版権を払うことなく大物アーティストも扱えることが挙げられます。
【仕掛け人①】大多 亮(元フジテレビ・プロデューサー)
元フジテレビ・プロデューサー大多 亮さんは、”タイアップビジネス” におけるCDバブルの仕掛け人。アーティストと良いものを創ろうと真剣勝負し、数々の伝説を残しています。
当時、レコード会社はタイアップ先のTV局に出版権の半分を譲渡し、さらには制作協力金(3000万円)も支払っていましたが、十分に元が取れていたというので驚きです。
通信カラオケの登場
1992年、エクシング社から通信カラオケ端末(JOYSOUND)が発売され、”個室型カラオケボックスの時代” が到来します。
カラオケボックスが普及すると流行に敏感な10~20代の若者が通うようになり、新曲が出るとすぐに ”CD購入→練習→カラオケボックスで披露” するパターンが一般化しました。
【仕掛け人②】安友雄一(オフィス エイトックス 代表)
オフィス エイトックス代表の安友雄一さんは、”JOYSOUNDの生みの親” であり、CDバブルの仕掛け人。インターネットが普及される前で、通信系システムも全て開発しています。
安友雄一さんは、1986年に世界初のPCソフト自動販売機「TAKERU」の事業を立ち上げますが、思うように市場が広がらず苦戦を強いられます。
時期尚早で「TAKERU」は売れませんでしたが、データを非常にコンパクトにできる技術を応用できないか模索し、その結果「通信カラオケ誕生」のキッカケとなりました。
ビジネス戦略としての曲作り
タイアップビジネス、通信カラオケの普及により引き起こされた「CDバブル」ですが、メーカーや作曲者の意識にも変化があり、さらに膨張していきます。
この、CD購入者の最終行動パターンを想定した作曲は「出口思考戦略」と呼ばれ、90年代後半に大ブームが巻き起こります。
【仕掛け人③】小室哲哉
globe、華原 朋美、安室 奈美恵など数多くのアーティストをプロデュースした小室哲哉さんは、「出口思考戦略」の成功者であり、CDバブルの仕掛け人と言わざるをえません。
小室哲哉さんは、キーの高い曲でプロデュースすることが多々あります。それは、「キーが高いと上手く聞こえる」効果があり、そこまで計算して作曲しているためです。
さいごに
極論ですが、1990年代は ”制作協力金(3000万)払ってタイアップをとればミリオンヒット” を出せる時代で、レコード会社が宣伝しなくともCDが売れていました。
CDバブルが崩壊し20年以上になりますが、いまだタイアップに代わる革新的な戦略は出ていません。音楽市場の未来は、レコード会社の ”宣伝力” がカギになるかもしれませんね。